精神的な病みとそれを打開する発散方法
ポール・D・マクリーン(著)、法橋 登(翻訳)の三つの脳の進化 (新装版)を読みました。
やや専門的なこの本は私にはちと重く、匙ならぬ本を投げそうになりましたが先日なんとか本の端までたどり着いた次第です。
この本の中で、内臓などから感情などを生み出す内部世界と目や耳などから入る情報を受け取り構成される外部世界、それを橋渡しする役割をする部分があるということを認識しました。
といっても、私は専門でもなく正しく表現できているかも分かりませんが、ここで話がしたいのは外部から入ってくる情報が過多になる人がいわゆる「病んでいる」状態になりやすい人なのかなといことです。
目や耳から入ってくるものは、内臓を刺激します。
学校に行くのが嫌でお腹が痛くなる、会社のプレゼンが辛くて頭痛が発生するといったようなことです。
そういうことは往々にしてあるとは思いますが、それならそれで逆に内部から発せられる気持ち(電気信号)を外部で発散していかないと溜まりますよね。
いわゆる愚痴というのは、一つの自己表現だと思うんですよ。外部に発散する行為、言い換えればストレス発散ですね。
斯く言う私も、内部世界に情報が溜まりやすい、思い悩むタイプなのですが厄介なことに愚痴があまり好きではないんです。
そんなことをしても生産性がない!などという真っ当な理由からではなく、あまりすっきりしないんですよね。
私は単に「愚痴を言わないに越したことはないか」と思っていましたが、不満は溜まる一方であり具合は悪くなります。
ただ、追い詰められる?と私はよく不満を殴り書きした記憶があります。ノートであったり、チラシの裏だったりツイッターだったりと。
そして今は何を思い立ったかブログを書き始め、なんだかんだ続いている。
ひょっとして自分の外部への発散手段に向いているのは書くことでは?と最近思い始めたのです。
そんな時、こんな記事を拝見しました。
5つのタイプから判別!自分に合った正しい自己表現できてる? | ういみっく村
ここでは、自己表現として
話す、書く、創る、行動する、自分自身を表現するの5つが紹介されています。
自己表現はすなわち外部に放出することとほぼ同義と考えると、この5つの中に人それぞれのの得意な発散方法があるのではと考えました。
私は上に記したように「書く」ことがひとまず該当するようです。
しかし、ただノートに書くという行為はあまり発散にならないような気がします。
外部に発散しなければいけないので、人に見てもらう可能性を残しておかないといけないと思うのです。
実際、ノートやチラシに書いた時も何故かそれらを残しておきました。
いつか誰かに見てもらえることを期待していたように思います。
今まさに書いているブログはその点便利で誰かに見られる可能性が常にあります。
そして、ブログが溢れ返っている昨今では来てくれる方も多くなく気も楽です。
来てくれたら来てくれただけ嬉しいですけどね。
非難されるのが怖い、いわゆる炎上を起こしてしまう可能性があるなど、問題もありそれはそれで解決しなければならないと思いますが、とりあえず思いを書いてみるというのは特定の人の発散方法としてお手軽であり有効だと思うのです。
もちろん、億劫になれば止めてしまえばいいのです。発散したいときだけ書けばいいのです。
ネタがなくて書けない、というのは精神的な意味では健全な証拠かもしれません。
心が苦しいけど発散できないという人は、上記5つを試しつつ、書くという分野ではブログで不満を書きなぐってみてはどうかと思います。