”未来のミライ”長編アニメーション映画賞ノミネートに際して
細田守監督の「未来のミライ」が長編アニメーション映画賞にノミネートされたそうですね。おめでたい。
私は彼の映画作品"時かけ、サマーウォーズ、雨と雪、バケモノの子"はどれも好きで
本映画も上映開始直後くらいに友人と見に行きましたが、総評としては残念ながらあまりピンときませんでした。
子育ての様子を生々しく描いている"だけ"ではないか?子供が考えているようなことを表現した"だけ"ではないか?と思ってしまったんですね。
命が紡がれていく素晴らしさを描いたのかな?と思いきやそういったオチも、少なくとも当時は見受けられず悶々としたものです。
各所見どころもあって、特にラストに未来の東京駅?を描いたシーンがあるんですけど、そこの色合い、システム、そこから生み出される雰囲気というのはとても新鮮で脳が活性化したような感覚も味わえました。
また、主人公が住んでいるお家もワクワクしてしまうような作りになっていて楽しめた部分もあったんですけどね。
一緒に同行した友人は子供の視点で描かれる葛藤を表現した素晴らしい作品だと評価しており、自分の感想を述べたところ「戦争じゃー!!」と宣戦布告され相容れないことが判明しました。
今回、この"表現"が世界に認められたわけなのですが、受賞の一報を聞いて評価の違いの根っこをなんとなく薄々感じているところにこんな記事を見かけました。
https://inukoroblog.com/2018/12/09/mirai_no_mirai/
いぬころさんがおっしゃっているように、まさに娯楽と文芸を混同してしまったことが面白くないと感じてしまった原因かなと思います。
同氏が語っている宮崎駿監督と高畑勲監督の作品性の違いについても今回の評価のすれ違いを考える上で私としてはしっくりくる例えでした。
それと、"○○なだけ"と描かれたものを自分の枠組みの中に押し込めて、機械的に処理してしまうのも良くなかったと思います。
これはこの作品に限らずですが、あらゆるコトに対してありのままを見られる目を持っていきたいですし、そうすればより多くの体験ができるやもしれません。
"評価されたから"というのもなんとも情けない話ですが、機会があればもう一度見てみようかと考えてます。
もう少し視点を変えてみるとまた違った景色が見えてくるのかもしれません。
もっとも、私にそのような文芸を味わえる感性があるか怪しいですがw